所在地 : 沖縄県中頭郡読谷村
訪問日 : 2003-09-08
沖縄の米軍基地問題の象徴として、米空軍嘉手納基地、米海兵隊普天間基地がよく話題にされるところですが、以前はこれに加え、米海軍および NSA (米国国家安全保障局) の通信傍受施設・楚辺通信所が取り沙汰されることが多くありました。
沖縄本島中部、東シナ海を望む読谷村波平地区の高台に在る楚辺通信所では、主に中国の高度軍事・外交交信の傍受と暗号解読が行われてきました。
青森県三沢市にある同種の傍受施設・姉沼通信所はアンテナの周辺一帯が基地施設であり一般人は接近できませんが、楚辺の場合はサトウキビ畑の中に直径 200m、高さ 28m の「象のオリ」こと AN/FLR-9 が忽然とそびえ立っていました。
住民の日常生活のすぐ傍に在る諜報施設 (の割には目立ち過ぎるが) は、嘉手納基地に発着する軍用機のような騒音こそ発しませんが、無言で鎮座している分、なおさら異様な光景でありました。
楚辺の「象のオリ」を全国的に有名にしたのは、1996 年に起きた土地不法占拠問題です。
沖縄の米軍用地には民間からの借用地が少なからず含まれますが、その実態は米軍占領下において強制的に接収されたもので、基地に反対する地主の中には土地借用の契約書へのサインを拒む人も少なくありません。その場合、市町村や県の首長が代理署名する事により土地占有を「合法化」してきたのですが、1995 年に起きた米兵による女子暴行事件を機に反基地感情が高まるなか、大田明秀沖縄県知事 (当時) は代理署名を拒否、これにより一部の米軍用地の借地期限が 1996 年 3 月末に切れることとなりました。民有地を米軍が「不法占拠」する状況が現出したのです。
地主の方は当然の権利として自分の土地、すなわち米軍基地内への立ち入りを要求しました。その中には、知花昌一氏が楚辺通信所内に所有する土地も含まれていました。しかし防衛施設庁 (つまりは日本国政府) は「象のオリ」周辺にフェンスを張って立ち入りを拒否します。
結局、知花氏は 1 時間半程度の僅かな時間だけ自分の土地への立ち入りを認められ、「象のオリ」の中で呑み歌ったそうです。
1996 年 12 月の SACO (Special Action Committee on Okinawa : 沖縄に関する特別行動委員会) 最終報告により、金武町の米海兵隊キャンプ・ハンセンへのアンテナ施設移設の後に返還されることとなっていましたが、代替施設完成の遅れにより長らく読谷の高台に居座り続け、全面返還は 2006 年 12 月末まで縺れこみました。その後、2007 年 6 月 8 日に全てのアンテナの撤去が完了しました。
筆者は、2003 年 9 月に沖縄を初訪問した機会に、嘉手納基地と併せて訪れました。もちろん、警察や米軍から怒られやしないかとビクビクしつつ柵の外から眺めるのみでしたが。
世界遺産・座喜味城址からも近いので、座喜味訪問ついでに「象のオリ」見物というのも半ば定番コースと化していたようです。筆者は残念ながら時間の都合で座喜味城址には立ち寄りませんでしたが (普通は逆だろ)。
楚辺通信所正面ゲート。
筆者訪問時はこの程度まで難なく近付ける程静かなものだったが、何ぞの際には物々しい警備が敷かれたことだろう。
(2003-09-08)
「此処は、楚辺通信隊敷地の境界線です。基地司令官の命令により、許可なきものの立ち入りを禁じます」
このフェンスが、日本国防衛施設庁によって設置されたもの。
(2003-09-08)
「象のオリ」の西側から北側にかけて、地元の車が時折通過する未舗装の道が通っており、この程度まで接近する事ができる。正面ゲートが厳重警戒で近付き難い場合は、こちらから見物する方法もあったかも。かえって怪しまれるような事になったかもしれませんが。
(2003-09-08)
「在日米軍施設 許可なき立入は日本国法令に依り処罰される」
望遠レンズの悪戯で、看板の傍に日章旗と星条旗が並んで見える、何ともコメントし辛い構図になってしまった。これも「オキナワの現実」か。
(2003-09-08)
参考文献
- すべては傍受されている - 米国国家安全保障局の正体
- James Bamford, 瀧沢一郎 訳, 角川書店, 2003, ISBN4-04-791442-8
- 沖縄の米軍基地
- 沖縄県総務部知事公室基地対策室 , <http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/cateview.jsp?cateid=14>