探検発見 : KDDI 茨城衛星通信センター

所在地 : 茨城県高萩市石滝字呉坪 650
訪問日 : 2003-04-06, 2005-04-17, 2006-05-27, 2006-11-23, 2007-04-07


JFK 夢と悲劇の衛星通信

第 35 代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ (John Fitzgerald Kennedy) は、アポロ計画の推進者として有名ですが、全世界的な衛星通信ネットワークの実現を推したことでも知られています。

1961 年 7 月、ケネディ大統領は「宇宙通信に関する大統領声明」において、「全世界が平等に利用できる衛星通信システム」の実現を提唱しました。
同年 5 月には「10 年以内に人類を月面へ送り無事帰還させる」という歴史的に有名な演説を行った JFK。スプートニクショック、ガガーリンショックと、宇宙開発競争においてソ連に出し抜かれ続けてきたアメリカとしては、「人類月面着陸」実現によって逆転勝利を狙うとともに、衛星通信という具体的な宇宙利用の分野において主導権を握ろうとした、というわけです。
ケネディの構想は、後の 1964 年に発足した国際電気通信衛星機構 (インテルサット) として結実することとなります。

ケネディの声明を受けて、人工衛星を用いた大陸間通信実験が行われることとなり、1962 年、AT&T ベル研究所によって大西洋上にテルスター 1 号が、NASA によって太平洋上にリレー 1 号が相次いで打ち上げられました。
これらは地球の周囲を約 3 時間で公転する低軌道周回衛星で、地球上の 2 地点から衛星を同時に見ることのできるわずかな時間しか通信できず、一度タイミングを逃すと、再び通信可能となるまで約 3 時間待つ必要がありました。
静止衛星の実用化は、1964 年のシンコム 3 号の成功まで待たねばなりません。

日本においては、郵政省 (現・総務省)、電信電話公社 (現・NTT)、国際電信電話 (KDD、現・KDDI)、NHK が中心となって協議会が設けられ、1962 年にアメリカとの間で衛星通信実験に関する取り決めを交わしました。
そして、衛星通信の実験施設として、茨城県は高萩市と多賀郡十王町 (現・日立市十王町) にまたがる台地上に「茨城宇宙通信実験所」が KDD によって設けられ、1963 年 11 月 20 日に開所しました。このとき建造された直径 20m のパラボラアンテナは、主反射鏡の焦点部に副反射鏡を置きアンテナ中心部に電波を集める「カセグレンアンテナ」と呼ばれるもので、日本が独自に開発し世界に先駆けて実用化しました。今日では、カセグレンアンテナは衛星通信用アンテナの世界標準となっています。

1963 (昭和 38) 年 11 月 23 日 (米時間 22 日)、KDD 茨城地球局と米カリフォルニア州ゴールドストーンの NASA 地球局との間で、初の日米間テレビ衛星中継 (当時は「宇宙中継」と呼ばれた) の実験がリレー 1 号衛星を用いて行われました。
このとき、ケネディ大統領自ら日本国民に向けたメッセージ映像が放送される予定でしたが、そのメッセージはついぞ伝えられることは無く、代わりにアメリカから飛び込んできた映像は (前述の日付でピンときた方もいるかと思いますが、と言うか、気付いてくれ)、
「ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスにて暗殺された」
という衝撃的なニュースでした。
人類を月に送ると宣言し、グローバルな衛星通信網を提案した人物の悲劇的な最期は、自らの提唱した通信衛星によって世界に伝えられ、衛星通信という新しいメディアの到来を人々に強烈に印象付け、国際通信や報道の世界に革命を起こすこととなりました。それは正にケネディの夢の実現に他なりません。運命とは、何と皮肉なものでありましょうか。

我が国の衛星通信の歴史は、今なお語り継がれる劇的かつ皮肉に満ちたエピソードと共にその幕を開けたのでした。1953 (昭和 28) 年に日本でテレビ放送が開始されてからちょうど 10 年後の出来事です。

日本の衛星通信発祥の地・茨城衛星通信センター

KDD 茨城宇宙通信実験所は 1965 (昭和 40) 年 11 月に茨城衛星通信所と改称され、1966 (昭和 41) 年 12 月にはインテルサット太平洋衛星向け地球局として本格的に運用を開始しました。
以来、山口衛星通信所 (1969 年開所。インド洋上衛星を介して欧州との通信を可能にした) と共に、我が国の国際通信の玄関口としての役割を担ってきました。
当初の目的であるインテルサット太平洋衛星にアクセスする地球局の役目の他、パンナムサットやアジアサットを介したテレビ中継の用途にも供されてきました。かつてはインマルサット海岸地球局の役目も務めていましたが、1995 (平成 7) 年に太平洋衛星・インド洋衛星とも山口局に集約されています。

なお、2002 (平成 14) 年 8 月に「茨城衛星通信センター」と改称されましたが、現地の案内板等には「茨城衛星通信所」の表記が多く残ったままでした。


公共交通機関を利用して訪れる際は、JR 常磐線高萩駅前から JR バス関東・高萩営業所の「いぶき台団地」行バスで「高萩工高前」下車が便利ですが、土曜・休日運休が多いので注意。
駅から歩いて行けなくもない距離ですが、少しばかり上り坂を覚悟しましょう (ちなみに筆者が最初に訪れた時は歩いて行く羽目になりました)。

駅前の通りを真っ直ぐ進んで本町 2 交差点を左折、暫く道なりに進んで安良川南交差点を右折、次の信号を左折した後は道なりに進みます。ヘアピンカーブの上り坂を上り、高萩工業高校の正門前を右折 (案内板あり) してそのまま進むと、センター正門に辿り着きます。
筆者の足では高萩駅から徒歩 40 分程でした。

個人や少人数グループ程度であれば、特に事前申込などせずとも、守衛所に申し出れば見学が可能で、稼動中の通信施設のあるエリアへは当然ながら立入禁止であったものの「一般公開されていて随時見学が可能な衛星通信施設」として貴重な存在でした (ちなみに山口局も、展示施設を中心に一般公開されています)。
また、センター内には 300 本ものソメイヨシノが植樹されており、桜の名所としても知られた存在でした。


大容量光ファイバー海底ケーブルの実用化と普及により、今日では通信衛星は国際通信の唯一絶対の手段では無くなりました。もちろん、地上にアンテナを用意すれば世界中の (極地域を除く) あらゆる場所で通信が可能となる衛星通信の威力が滅したわけではありませんが、大陸間の固定的な通信回線においては、衛星回線は海底線のバックアップといった補完的な用途が主となりつつあり、その地位が相対的に低下してきていることは事実です。

2006 (平成 18) 年 4 月、KDDI は合理化のため、茨城衛星通信センターの機能を山口衛星通信センターへ統合する方針を明らかにしました。
茨城では地理的にインド洋上の静止衛星にアクセスすることはできませんが、逆に山口から太平洋上の静止衛星へはアクセス可能であるため、地球局を 1 ヶ所に統合するならば茨城よりも山口の方が適していることは確かですが、地理的に離れた 2 ヶ所に地球局を有することには自然災害等への冗長性を確保する意味もあったわけで、40 年以上にわたって衛星通信を扱ってきた KDDI が地球局の全面的統合に踏み切ったことは、技術の進歩とそれに伴う衛星通信の役割の変容を如実に物語る出来事でありました。

長きにわたり高萩の台地上で世界のニュースを受信し、日本発の映像を海外へ送り出してきた KDDI 茨城衛星通信センターは、2007 (平成 19) 年 3 月 16 日をもって閉局、43 年余りの歴史に幕を下ろしました。
その象徴であった 32m パラボラアンテナ 2 基は、国立天文台および茨城大学に譲渡され電波望遠鏡として活用される計画となっています。
筆者としては、その役割が変わろうとも、「パラボラのある風景」がいつまでも在り続けるとともに、「日本の衛星通信発祥の地」「衛星通信のメッカ」の歴史が末永く伝えられることを願って止みません。


JR高萩駅 名所案内JR 高萩駅の名所案内でも紹介されている。
以前、青春 18 きっぷで常磐線を移動中にこれを目撃し「観光名所扱いされている衛星通信施設って何だ?」と思い調べてみたら、「日本で最初の衛星通信地球局」であり「初の日米衛星中継でケネディ暗殺のニュースを受信した地球局」であった、というわけ。筆者の訪問のきっかけはここから始まります。
(2003-04-06)

KDDI 茨城衛星通信センター茨城衛星通信センター正門。2005 年 4 月時点においても、表記は「茨城衛星通信所」のまま。
(2005-04-17)

KDDI 茨城衛星通信センター茨城衛星通信センターの象徴、2 基の巨大パラボラアンテナ。
主用途であるインテルサット用アンテナは設置順に番号が付されており、左側手前が第 5 アンテナ、右側奥が第 4 アンテナ (第 1 〜 3 アンテナは既に撤去)。
(2005-04-17)

KDDI 茨城衛星通信センター見学可能エリアに最も近い位置に設置されている第 5 アンテナ。
主反射鏡直径 32m のカセグレンアンテナで、東経 176 度の太平洋上に位置する INTELSAT 702 衛星にアクセスする。
(2005-04-17)

KDDI 茨城衛星通信センター奥寄り、十王町側敷地内に位置する第 4 アンテナ。開局当時の第 1 アンテナの撤去跡付近に設置されている。
スペック的には第 5 アンテナと同様、主反射鏡直径 32m のカセグレンアンテナ。アクセス衛星は INTELSAT 802 (東経 174 度)。
2007 年 3 月の閉局を前に一足速く運用を終了した後、日本アマチュア無線連盟による月面反射通信実験に供され、最後の話題づくりとなった。
(2005-04-17)

KDDI 茨城衛星通信センター通信センター中央棟舎。さすがにこの先は見学者立入禁止。
背後は、地上中継回線用のマイクロ波アンテナ。
(2003-04-06)

KDDI 茨城衛星通信センター守衛所の傍に残る、第 3 アンテナ (2001 年に撤去) の跡。
1981 (昭和 56) 年 4 月のスペースシャトル「コロンビア」初飛行時の映像を受信したアンテナで、晩年は海底ケーブルの非常時のバックアップ回線として用いられていたとのこと。
(2003-04-06)

KDDI 茨城衛星通信センターこぢんまりとした展示施設「衛星通信館」。
(2003-04-06)

KDDI 茨城衛星通信センター毎年 4 月上旬には、センター内のソメイヨシノが満開となり、多くの見学客が訪れる。満開の桜とパラボラアンテナの絶妙な組み合わせは、パラボラマニアならずとも必見。
(2005-04-17)

KDDI 茨城衛星通信センター十王町側からアンテナを望む (後掲の NTT 十王地球局傍より撮影)。
背後が山であり、余計な電波干渉が少なくて済むというのが、この地に衛星地球局が設置された理由の一つである事がお分かりいただけよう。
なお、写真では判り辛いが、2003 年 4 月当時、第 4 アンテナ (写真左) のロゴは KDD のままであった。
(2003-04-06)

KDDI 茨城衛星通信センター2007 年 4 月、閉局後も桜のシーズンに合わせ開放された茨城衛星通信センター。2 基のパラボラは健在なれど、天頂格納されたその姿は、既に衛星通信地球局として運用されていないことを物語る。
(2007-04-07)

NTT 十王衛星通信地球局おまけ : KDDI 茨城衛星通信センターのすぐ近く (十王町側) にある、NTT 十王衛星通信地球局。N-STAR へのアクセス用か?
ちなみに、十数 km 北方の北茨城市には NTT ドコモ揚枝方衛星通信所がある。
やはり茨城は衛星通信のメッカだ。
なお、2007 年 11 月現在、この 3 基のパラボラアンテナは撤去されている。
(2003-04-06)

参考文献

衛星通信の歴史
JBTV「衛星通信の基礎知識」より , <http://www.jbtv.co.jp/chi_rekishi.html>
インテルサットとケネディ大統領
金谷信之「情報夜話」より , <http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/intelsat.html>