探検発見 : 東京大学 秋田ロケット実験場跡

所在地 : 秋田県由利本荘市 (→Mapion)
訪問日 : 2004-03-06, 2005-08-06


荒波逆巻く日本海に面する、秋田県・道川海岸。
夏場を除いては訪れる人影もまばらな海岸はかつて、大宇宙 (おおぞら) を目指した漢達のフロンティアでありました。

戦後、日本のロケット研究は、東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授を中心とする AVSA (Avionics and Supersonic Aerodynamics : 航空電子工学と超音速航空工学連合) 研究班 (後に東大宇宙航空研究所、文部省宇宙科学研究所を経て、現・宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部) によって始められました。
敗戦後の航空研究禁止が解かれたとき、糸川は、欧米の後追いでジェット機研究を行うのでなく、欧米の更に先を行く
「超音速・超高層飛行で太平洋を 2 時間で横断できるロケット機の実現」
という壮大な構想を描き、ほとんどゼロからの国産ロケット開発を始めたのでした。

壮大な夢を抱きつつも地道な研究を重ねていた AVSA 研究班のロケット開発は、思わぬ形で加速されることとなります。
1957〜1958 年の国際地球観測年 (IGY) での国際共同観測に日本が参加を表明したことを受けて、大気層上層観測に自国技術を利用できないかと考えた文部省 (現・文部科学省) は観測ロケットの開発を糸川教授に打診、ここに AVSA グループは日本の IGY 参加を支えるという具体的な任務を背負うこととなりました。

1955 (昭和 30) 年 4 月、東京・国分寺の廃工場跡地でペンシルロケット (全長 230mm) の水平発射試験が行われ、29 機全てが成功を収めました。次なる段階は、上空への打ち上げです。外国のように広い砂漠を持たない日本では、海岸から打ち上げて海に落とすほかありません。船舶や航空機の航路を避け、漁業への影響の少ない場所を求めた結果、秋田県由利郡岩城町 (現・由利本荘市) の勝手川河口南側の道川海岸が選ばれました。日本で最初のロケット射場「秋田ロケット実験場 (ARR : Akita Rocket Range)」の誕生です。

1955 年 8 月 6 日、秋田ロケット実験場で、全長 300mm の「ペンシル 300」の初打ち上げが実施されました。
最初のテストではロケットの発射台への固定方法に問題があり、点火直後に発射台からロケットが転げ落ち砂浜でのたうち回るという失態をやらかしましたが、急遽固定方法を改善した後の 15 時 32 分、東大の「夏のロケット」は、日本史上初めて重力の束縛を解き放ち自らの力で飛翔に成功したのでした。到達高度 600m、飛翔時間 16.8 秒でした。
8 月 23 日からは 2 段式のベビーロケットの発射実験を開始、12 月までに計 36 機を打ち上げ、テレメータの搭載やパラシュートによる海上回収を実現、基礎データを積み重ねていきました。

IGY 参加のためには、高度 100km にまで達するロケットが要求されます。ペンシルおよびベビーで経験を重ねた AVSA グループは、本格的な観測ロケット「カッパロケット」の開発に着手します。当初は、アルファ・ベータ……とギリシア文字のアルファベット順に段階を踏んで開発を進める予定でしたが、IGY に間に合わせるために、アルファとベータは机上設計とエンジンの地上燃焼試験のみで終わり、実機はカッパ (K) まで一気に繰り上げられました。決して「河童」の意ではありませんが、日本人に親しみ易いネーミングを狙ったのかも知れません。
より大型のカッパを打ち上げるにあたり、射場も勝手川河口北側 500m の海岸に移されました。1956 (昭和 31) 年 9 月 24 日、カッパ 1 型が初飛行、到達高度は 10km でした。
コンポジット推薬の開発にてこずるなど、必ずしも順風満帆な開発とはなりませんでしたが、1958 (昭和 33) 年 9 月、カッパ 6 型 8 号機が高度 60km に到達しました。当初目標の 100km には及ばなかったものの、上層大気の観測データを得ることに成功しました。かくして IGY 終了にギリギリセーフで間に合い、日本は IGY 参加の公約を果たしたのでした (第 3 回 IGY 期間中に自力で観測ロケットを打ち上げたのは、米ソ英日の 4 ヶ国のみであった)。


東大秋田実験場でのカッパ 6 型ロケット (Copyright(c) JAXA)道川海岸でのカッパ 6 型ロケットの打ち上げ。
これが、日本の宇宙開発最初期の光景である。
提供 : 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
Copyright (c) JAXA


IGY 終了後もより高い宇宙を目指してカッパロケットの開発は続けられ、1960 (昭和 35) 年、カッパ 8 型は高度 200km を超えるまでになりました。
このまま飛行高度が上がると、いずれは日本海を飛び越えて大陸にまで達してしまいます。
糸川教授は、太平洋側に新たな射場を求め、1 年近く掛けて日本全国を歩き回った結果、鹿児島県は大隅半島の一角、内之浦町 (現・肝付町) に新射場が建設される運びとなりました。

内之浦に「鹿児島宇宙空間観測所 (現・内之浦宇宙空間観測所)」の建設が決定した後も、高度 300km 未満の小型ロケットは秋田実験場で打ち上げを継続する予定でした。東京から近いことと、梅雨の期間が短いために夏季の飛翔実験に有利であったためです。しかし、思わぬ形で事態は急変します。
1962 (昭和 37) 年 5 月 24 日夜、カッパ 8 型 10 号機の打ち上げ直後、1 段目が大爆発を起こし、飛散した推薬により実験場は火の海と化しました。破片は海岸から 300m 離れた民家にまで飛び散り、火災を起こしました。
更に悪いことに、ロケット本体が海中に落ちた後に 2 段目が点火、うずくまる関係者の頭上を飛び越えて砂丘に突き刺さるという、一歩間違えれば大惨事につながる危険な状況を発生させてしまいました。
幸いにして死傷者は出ませんでしたが、地元民に与えたショックは大きく、また安全対策のためには多額の経費が必要となることが判明したため、以降の道川での飛翔実験は全て中止、既に建設に着手していた内之浦へ実験の場を全面的に移行することとなりました。
1955 年から 1962 年の間に東大生研 AVSA 研究班が道川海岸から打ち上げたロケットは、計 88 機にのぼります。

なお、あまり知られていませんが、東大が道川から撤退した後の 1965 (昭和 40) 年、科学技術庁 (現・文部科学省) の付属機関である航空宇宙技術研究所 (NAL、現・宇宙航空研究開発機構 総合技術研究本部) が 5 月と 9 月の二度にわたり秋田実験場で NAL-7 型ロケット計 14 機の発射実験を行っています。
その後の NAL によるロケット実験は種子島に移行したため、これが道川での正真正銘最後のロケット打ち上げとなりました。

現在の秋田ロケット実験場跡は、記念碑がただ一つある他は荒涼とした海岸が広がるばかりで、往時を偲ぶものはありません。防風林と海岸の間の多少開けた砂浜に、当時の施設類の配置を想像してみるのみです。

JR 羽越本線道川駅から国道 7 号線を秋田方面へ 10 分程歩くと、勝手川の手前に記念碑の案内標識が掲げられています。海岸に出る途中に記念碑があり、その先の河口南側に開けた箇所が、1955 年開設当初の射場跡です。
カッパロケットの頃の射場跡へは、勝手川を渡って国道を 500m 程秋田方面に進み、勝手バス停付近の小道から海岸に出ます。

日本の宇宙開発史に残るスポットではあるものの、なにぶん何も残っていないので期待し過ぎても拍子抜けでしょうが、日本海に沈む夕陽を見がてら訪れてみるのもいいかも。


日本ロケット発祥記念之碑岩城町が建立した「日本ロケット発祥記念之碑」。
(2004-03-06)

道川海岸 秋田ロケット実験場跡記念碑の海側、ペンシルおよびベビーロケットの射場跡。なにぶん真冬だっただけに、何も無いどころか人っ子ひとり居なかった。
(2004-03-06)

道川海岸 秋田ロケット実験場跡勝手川河口北側、カッパロケットの射場跡。こちらも、何も無く誰も居なかった。
(2004-03-06)

道川海岸 秋田ロケット実験場跡夏のペンシル射場跡。ちなみにこの日は、道川でのペンシル 300 初打ち上げからちょうど 50 周年の日であった。
(2005-08-06)

道川海岸 秋田ロケット実験場跡夏のカッパ射場跡。小道から海岸に出た付近から撮影したもので、左側の少し突き出た箇所の海側砂浜にランチャーが設置されていたものと思われる。
(2005-08-06)

日本ロケット発祥記念之碑夕暮れ時のロケット発祥記念碑。
(2005-08-06)

参考文献

日本の宇宙開発の歴史
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部 , <http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/index.shtml>
新版 日本ロケット物語
大澤弘之 監修, 誠文堂新光社, 2003, ISBN4-416-20305-5
はやぶさ 不死身の探査機と宇宙研の物語
吉田武, 幻冬舎, 2006, ISBN4-344-98015-8

本稿作成にあたり、当時の画像資料として「独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)」Web サイトの画像をガイドラインに基づき利用させて頂きました。「提供 : 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)」と出典を明記した画像の著作権は全て宇宙航空研究開発機構に帰属します。当該画像の複製・転載その他の二次使用は御遠慮ください。