探検発見 : 海上自衛隊 鹿屋航空基地史料館

所在地 : 鹿児島県鹿屋市西原 3-11-2 (→Mapion)
訪問日 : 2004-09-12, 2005-07-06
URL : http://www.dii.jda.go.jp/msdf/kanoya/sryou/msdf-ks/


鹿児島県は大隅半島の中心都市、鹿屋市には、海上自衛隊の航空基地があります。その歴史は、1936 (昭和 11) 年 4 月に旧帝國海軍鹿屋航空隊が開設されたことに始まります。

1937 (昭和 12) 年 7 月 7 日の盧溝橋事件を契機に日中戦争が勃発すると、鹿屋航空隊は第一連合航空隊に編入され台湾に前進し中国本土への渡洋爆撃を敢行。また1941 (昭和16) 年 12 月 8 日の太平洋戦争勃発直後にはフィリピン方面作戦に従事、その後ラバウル、テニアン等へ進出し南西・南東方面作戦に奮闘することとなります。しかし戦局の悪化が落とす暗い影は、鹿屋も例外ではありませんでした。

太平洋戦争末期の 1945 (昭和20) 年 3 月 11 日、第 762 航空隊の陸上爆撃機「銀河」24 機が鹿屋を飛び立ちました。鹿児島・鴨池基地を出撃した誘導役の二式飛行艇と佐多岬上空で会合した後、彼等が目指したのは、西カロリン諸島のウルシー環礁。ここを錨地とする米空母機動部隊を体当たりにより殲滅する任務が課せられていました。鹿屋からウルシーまで 1,500 海里 (約 2,900km) 以上、帰投することはもはや物理的に不可能な、前代未聞の長距離片道攻撃です。
途中、機材の不調により脱落する機もあり、最終的にウルシーへ到達した銀河は 16 機。出撃時刻を 1 時間遅らされたことと、重装備かつエンジン不調により速度の出ない二式大艇に頭を抑えられ本来の俊足を活かし切れなかった銀河隊は、敵艦影の判別の極めて困難な日没後の突入を余儀なくされ、彼等の戦果は、1 機が空母「ランドルフ」の飛行甲板後部に激突し火災を発生させるにとどまりました。突入を断念した 4 機がヤップ島に不時着したほかは、12 機もの銀河が未帰還となりました。戦果に対して、あまりにも大きな犠牲でした。
これが、鹿屋から出撃した最初の特攻隊、神風特別攻撃隊菊水部隊梓隊、通称「梓特別攻撃隊」です。以降終戦まで、薩摩半島の陸軍知覧飛行場とともに本土最南端の特攻基地として、1,000 名近い若者達が沖縄はじめ南方へ出撃し、帰らなかったのです。

戦後は、米軍の進駐を経て、1953 (昭和 28) 年 12 月に警備隊鹿屋航空隊が開隊され、1954 (昭和 29) 年 7 月の海上自衛隊発足後、米軍から供与された小型機により本格的に飛行訓練を開始しました。ここに鹿屋航空隊は、海自航空部隊の発祥の地となったのです。

1972 (昭和 47) 年、鹿屋基地に「鹿屋航空基地史料館」が開設されました。当初は基地内に設けられていましたが、1993 (平成 5) 年にオープンした新史料館は基地ゲートの外側に設けられ、気軽に訪問できるようになりました。

史料館内は、まず 2F へ上がり、1F へと巡る順路となっています。2F エントランスには、梓特攻隊に関する展示もあります。
2F は旧海軍航空隊関連の展示となっています。零式艦上戦闘機の復元機が目立ちます。後半は神風特別攻撃隊に関する展示です。なお、特攻隊員の遺影や遺書・遺品が多数展示されている関係上、2F は零戦を除き撮影禁止となっているので注意。
下りて 1F は海上自衛隊航空部隊関連の展示で、P-2J 対潜哨戒機の機首部カットモデルや各種ソノブイ等の装備が見られます。

そして屋外には、海自に在籍した各種航空機が多数保存展示されています。2004 (平成 16) 年には、東京・船の科学館で保存されていた旧海軍二式飛行艇が展示機に加わり話題となりました。

ちなみにこの史料館、内之浦でロケット打ち上げが行われる場合など、JAXA の中の人が暇を見て見学に来ることがあるとか。もちろん、航空宇宙ファンならば内之浦と併せて訪問するのが吉。


鹿屋航空基地史料館鹿屋航空基地史料館。左手に写っている屋外展示機は、シコルスキー HSS-2A 対潜哨戒ヘリコプター。
(2004-09-12)

零戦 52 型史料館 2F で唯一撮影可能な、三菱零式艦上戦闘機 52 型。錦江湾と吹上浜から引き上げられた 2 機を合わせて復元したもの。
(2004-09-12)

P-2JP-3C 登場まで海自の主力哨戒機であった、川崎重工業 P-2J 対潜哨戒機。鹿屋には 4771 号機と 4783 号機の 2 機が保存展示されている。
写真の 4783 号機は、83 機製造された P-2J の最終号機。
(2004-09-12)

P2V-7P-2J の母体となった、ロッキード P2V-7 対潜哨戒機。鹿屋の 4618 号機は、日本に現存する唯一の機体。
星型レシプロエンジンなので、ターボプロップの P-2J と比べるとエンジンナセルがずんぐりと太いのが判る。
(2004-09-12)

US-1A日本が世界に誇る大型飛行艇、新明和工業 US-1A 救難飛行艇。
(2004-09-12)

R4D-6ダグラス R4D-6。DC-3 型の機材としてはおそらく日本で唯一の現存機。ちなみに、昭和天皇も (この機体ではないだろうが) 搭乗されたことがあるとか。
(2004-09-12)

S2F-1米軍からの貸与機であった、グラマン S2F-1 対潜哨戒機。本来は空母艦載機。
(2004-09-12)

V-107バートル V-107 ヘリコプター。海自では掃海機として使用されていた。
(2004-09-12)

二式大艇船の科学館から海自に寄贈され、2004 年に鹿屋の展示機に加わった、川西二式飛行艇 12 型。
陸上基地である鹿屋で運用されたことは当然無いが、梓特攻隊つながりで縁があるとも言える。梓隊について興味のある方は関連書籍を一読されることをお勧めします。
(2004-09-12)

参考文献

魂 (こころ) のさけび 鹿屋航空基地新史料館十周年記念誌
鹿屋航空基地史料館連絡協議会, 2003, ISBN4-907794-31-2
梓特別攻撃隊 爆撃機「銀河」三千キロの航跡
神野正美, 光人社 NF 文庫, 2007, ISBN978-4-7698-2545-6
二式大艇空戦記 海軍八○一空搭乗員の死闘
長峯五郎, 光人社 NF 文庫, 1998, ISBN4-7698-2215-4