所在地 : 長野県佐久市上小田切字大曲 1831-6 (→Mapion)
訪問日 : 2004-07-18, 2005-11-12
URL : http://www.jaxa.jp/about/centers/tracking/udsc/index_j.html
1986 (昭和 61) 年、76 年周期で地球に接近するハレー彗星が再びやって来ました。
前回の接近である 1910 年からの間に宇宙空間への進出を果たした各国の宇宙科学機関は、大宇宙の「スタァ」の神秘を探るべく、こぞって探査機を送り込みました。
ソ連は 1984 年 12 月に「ヴェガ」2 機を、ESA (欧州宇宙機関) は 1985 年 7 月に「ジオット」を相次いで打ち上げました。
アメリカは新規の探査機こそ用意しませんでしたが、既に打ち上げられていた探査機 ISSE3 を、スイングバイにより軌道修正を行いハレー彗星に向かわせることとしました (魔術的なまでに複雑な軌道修正に成功し彗星探査機となった ISSE3 は「ICE」と改称された)。
1981 (昭和 56) 年に東京大学宇宙航空研究所を母体として発足した文部省宇宙科学研究所 (ISAS、現・宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部) もまた、ハレー彗星を目指した宇宙機関のひとつでした。しかし日本にとって、ハレー彗星探査ミッションには未経験の難問が山積でした。
当時、日本には人工衛星打ち上げの技術はあっても、惑星間空間への探査機投入の経験はありませんでした。当然、惑星間軌道までペイロードを送り込めるロケットも ISAS にはありません。
そして、探査機がハレー彗星に最接近する位置は太陽の向こう側、地球から遥か 1 億 7000 万 km もの彼方。地球周回軌道上の人工衛星とは比べものにならない深遠な距離を電波で交信するためのアンテナ設備も必要となります。
そのアンテナの大きさは、直径 64m。通信衛星用のアンテナが大きいもので 30m 程度ですから、直径が約 2 倍、つまり面積は約 4 倍という、日本最大、世界的にも最大級のパラボラアンテナが出現することとなりました。
アンテナ設置場所は、極めて微弱な電波を捉えるために妨害電波の影響の極力少ない山間部が選ばれ、1984 (昭和 59) 年 10 月、長野県は八ヶ岳山麓の臼田町 (現・佐久市) に「臼田宇宙空間観測所 (UDSC : Usuda Deep Space Center)」が開設されました。
1985 (昭和 60) 年 1 月 8 日、それまでの M-3S 型の二倍半もの打ち上げ能力を持つ M-3SII 型ロケット初号機によって、試験探査機 MS-T5 が鹿児島県内之浦町 (現・肝付町) の鹿児島宇宙空間観測所 (現・内之浦宇宙空間観測所) から打ち上げられ、完璧な制御で惑星間軌道への直接投入に成功しました。こうして、M-3SII は全段固体燃料ロケットとして世界で初めて地球重力圏からの脱出を果たし、「さきがけ」と命名された MS-T5 は日本初の「人工惑星」となりました。
同年 8 月 19 日には、本番のハレー彗星探査機 PLANET-A (打ち上げ後「すいせい」と命名) が後を追いました。
1986 年 3 月 8 日、「すいせい」はハレー彗星に 151,000km にまで接近、搭載の紫外線カメラが捉えたデータにより、彗星の核の活動が一様でなく周期的に強くなったり弱くなったりすることが明らかとなりました。「さきがけ」もまた、ハレー彗星の尾の観測に成功、貴重なデータをもたらしました。
その追跡管制と観測データ受信に、臼田の 64m アンテナが活躍したことは言うまでもありません。
その後も臼田宇宙空間観測所は、工学試験衛星「ひてん」によるスイングバイ技術の習得、電波天文衛星「はるか」を用いたスペース VLBI (VSOP : VLBI Space Observatory Programme)、残念ながら結果的には失敗に終わった火星探査機「のぞみ」の追跡、そして現在は、2003 (平成 15) 年 5 月 9 日に M-V 5 号機によって打ち上げられ 2005 (平成 17) 年 9 月に小惑星イトカワに到達、サンプルを収集し 2010 年の地球帰還を目指す小惑星探査機「はやぶさ」の追跡、および 2007 (平成 19) 年 9 月 14 日に H-IIA ロケット 13 号機で打ち上げられた月周回衛星「かぐや」の管制と、日本の宇宙科学研究ミッションに欠かせない存在となっています。
2003 (平成 15) 年 10 月の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 発足後は、衛星追跡管制施設ということでこれまでの ISAS から JAXA 宇宙基幹システム本部へと所属が変わりましたが、科学衛星や探査機自体の管制は、JAXA の追跡管制ネットワークの中枢である筑波宇宙センターではなく、現在も相模原の宇宙科学研究本部から行われています。
臼田宇宙空間観測所 (と言うか、日本最大の 64m パラボラアンテナ) へのアクセスは、国道 141 号線の下小田切交差点を西へと曲がります (佐久 IC 方面から来た場合は右折、野辺山方面からの場合は左折)。あとはひたすら道なりに 20 分程山道を進むのみ。
途中、車 1 台分の道幅しかないところや見通しの悪い箇所も少なくないので、車の運転には十分注意しましょう。
臼田宇宙空間観測所への道すがらに掲げてある案内標識。施設名よりも「パラボラアンテナ」の文字のほうが目立つ。
(2004-07-18)
人家も無い鬱蒼とした山道を進んでいくと、突然前方に巨大アンテナが姿を現す。狙っているかのように待避所があるので (笑)、まずはここに車を停めて記念撮影を。
(2004-07-18)
直径 64m とか総重量 1,980 トンなどというスペックも、実物の迫力を目の当たりにするとほとんど意味をなさない。とにかく、その圧倒的な存在感、工学的な美を全身全霊で感じ取るべし。
訪問時は真上を向いていたため、ディッシュ面を見ることができなかったのが残念。
左遠方に Ku バンド用 10m アンテナが見えるのが分かるだろうか。
(2004-07-18)
仰角調整機構部のクローズアップ。アンテナの向きを変える構造は一般的な AZ-EL マウント方式だが、支えるものの大きさが大きさだけに、仰角調整のセンターリングは二重構造となっている。
二重のセンターリングを有するアンテナは、日本では臼田の 64m アンテナと国立天文台野辺山の 45m 電波望遠鏡のみ。
(2004-07-18)
64m アンテナの銘盤。三菱電機製。
「深宇宙探査用大型アンテナ設備」の文字が、大宇宙への夢を掻き立ててくれる。
(2004-07-18)
巨大なディッシュを支える背面の骨組も、緻密で精巧な美しさを見せる。
パネル隙間から陽光が漏れるアングルを狙ってみました。
(2004-07-18)
研究棟。アンテナで受信した信号から観測データおよび探査機のテレメトリ情報を復調し、ISAS 相模原キャンパスへと伝送する。
(2004-07-18)
展示室。ただし、展示内容は開設当初からあまりアップデートされていない模様。
(2004-07-18)
展示室内より、試験探査機「さきがけ」(右) と、ハレー彗星探査機「すいせい」(左) の模型。
(2004-07-18)
電波天文衛星「はるか」を用いた VSOP プロジェクトに際して、64m アンテナを電波望遠鏡として使用するため、衛星とのデータリンク用に新設された Ku バンド用 10m アンテナ。
近付くことはできないが、64m 鏡だけでなくたまにはこちらも思い出してあげてください。
(2004-07-18)
2005 年 11 月、「はやぶさ」のイトカワへの着陸リハーサルが行われるタイミングで訪問した際の 64m アンテナ。この先 3 億 km の彼方で「はやぶさ」まさに降下の真っ最中という、これぞ日本の惑星探査の最前線。シビレます。
(2005-11-12)
参考文献
- 日本の宇宙開発の歴史
- 宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部 , <http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/index.shtml>
- 宇宙へのパスポート2 M-V&H-IIAロケット取材日記
- 笹本祐一, 朝日ソノラマ, 2003, ISBN4-257-03678-8