探検発見 : 海上保安庁佐世保海上保安部 針尾送信所

所在地 : 長崎県佐世保市針尾中町 (→Mapion)
訪問日 : 2004-07-11, 2005-07-10
URL : http://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/sasebo/service/hoanbu/tsushin/hario/hario.html


長崎県、長崎市と佐世保市を結ぶ国道 202・206 号線の西海橋の近くに、3 本の高い煙突のようなものが立っています。
ハウステンボスからもさほど離れていないところにそびえ立つ巨大構造物は、海上保安庁第七管区・佐世保海上保安部の管理する「針尾送信所」の旧無線塔です。

針尾送信所の 3 本の無線塔は、旧大日本帝國海軍が 1918 (大正 7) 年から 1922 (大正 11) 年までの 4 年もの歳月をかけて完成させたもので、高さ 135〜137m の鉄筋コンクリート製の塔が一辺 300m の正三角形を構成するよう配置されています。
かつては塔頂部の展張装置を介して、塔と塔の間に空中線が張られアンテナを構成していました。当時は長波が用いられていたため、このような大規模なアンテナ施設が建造されたのです。

戦後は、1948 (昭和 23) 年 5 月の海上保安庁発足により佐世保海上保安部の管轄となり、海難通信等の海上保安業務に供されてきましたが、1997 (平成 9) 年、代替施設の完成によりその役目を終えました。
もっとも、頑丈に造られたコンクリート塔ゆえ撤去するにも費用がかかるためか、今なおその巨大な姿を残しています。

ところで、針尾送信所については、
「1941 (昭和 16) 年 12 月 2 日、太平洋戦争開戦の日を指示する暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二○八』が針尾から送信された」
とする逸話がまことしやかに語られることが少なくないのですが、当時北太平洋を進行中の真珠湾攻撃部隊に向けて件の電文を送信したのは海軍東京通信隊であり、送信に供された施設は千葉県船橋市行田にあった船橋送信所の無線塔 (現存せず) です。
巷では「中国大陸や南太平洋に展開する部隊に対して開戦を伝えるために針尾からも中継送信された」とされていますが、これには反論もあります。
少なくとも、記録の残る事実からは真珠湾攻撃に針尾が直接関与していないことが明らかであり、「針尾から送信された『ニイタカヤマノボレ一二○八』によって太平洋戦争の火蓋が切られた」という言説は史実に反します。あまりにもニイタカヤマノボレ云々を言われるがための誤解が後を絶たないようなので、念のため。
無論、だからと言って針尾送信所の歴史的価値が滅するものではありません。

長崎県には、「軍艦島」こと端島や、三菱重工業長崎造船所の史料館など、産業遺跡としての見どころが多いのですが、とりわけ針尾送信所の無線塔は、一般人が容易に接近して見ることのできるものとしては最大級の存在感を誇っていると言えます。レンタカーを駆ってでも見に行く価値はあるかと。
ただし、佐世保海上保安部も公式 Web サイトにおいて「危険防止のため、無線塔内部などの見学はできません」と断っているように、公開施設というわけでは決してありません。塔に物理的に接近する事自体は容易ですが、あくまでも自己責任での行動をお願いします。


針尾送信所針尾送信所旧無線塔。左から、3 号塔 (高さ 137m)、2 号塔 (135m)、1 号塔 (135m)。
(2004-07-11)

針尾送信所3本の塔のひとつ、3 号塔。比較的容易に接近することができる。ただし、民有地 (ミカン畑) を通り抜けて行くこととなるので、接近方法についてはノーコメント。お約束ですが、見物は自己責任で。
奥に見えるのは 2 号塔。
(2004-07-11)

針尾送信所3 号塔基部。台座があるわけではなく、地面からいきなり立ち上がっている。
基部の直径は 12.12m、周囲は 33m。
(2004-07-11)

針尾送信所塔内部を覗いて見る。頂部まで延びる梯子と、ワイヤの展張用か資材の昇降用かよく分からない残骸が見える。
(2004-07-11)

針尾送信所先人の偉業を見よ。80 年以上も風雨にさらされながらも、表面の状態は極めて良好で、コンクリートの剥離もクラック (ヒビ割れ) も全く見られない。
(2004-07-11)

針尾送信所針尾送信所の現在の無線送信アンテナ。空中線を展張する鉄塔は高さ 35m と、それだけ見ればそこそこの大きさであるが、なにぶんそれ以上にデカい塔が立っているのであまり目立たない。
(2004-07-11)

針尾送信所針尾瀬戸を挟んだ対岸の西海市川内付近から。本稿トップの写真のほぼ正反対からのアングルとなる。
(2005-07-10)

針尾送信所西海市伊ノ浦郷付近から見たところ。針尾瀬戸の潮流とともに在り続けてきた無線塔も、解体か保存かで揺れている。
(2005-07-10)